『Ecole』

”五重塔が見える映画館”でお馴染み、みなみ会館で『Ecole(エコール)』を観る。そしてヤラれる。。。


最初、このストーリーとビジュアルの可愛らしさに惹かれて観に行く。以前観た映画『変態村』は、汗臭そうなオッサンしか出てこなかった(オバちゃんがちょろっと出たくらい)が、この『エコール』は真逆で、ほとんど少女しか出てこない。(ちなみに、この映画の撮影監督は、変態村の監督だ。)男子には、みうらじゅん氏的に言う、童貞論や青春ノイローゼ的な、今ふりかえると中学生当時の自分は、自分であってもうすでに自分ではない他人的な人格になってしまってる、男子特有の頭のおかしな時期(その後の人生を左右するような重要な時期)があるが、女子には女子でまた特有の時期があるのだなぁ〜と思った。その男子の知り得ない秘密の時期をこっそりのぞき見してしまったような感覚になる映画。少女から少女でなくなる、目には見えない瞬間を見事に映像化している。しかも、映像上でもそれは見えないのだが見えるのだ(ちょっと意味分からないかもしれないが。)見えないけど魅せているのだ。楳図かずお氏も『わたしは真悟』で、子供から大人へ変態してしまう様を”カチッ、カチッ…”と身体の中から秒読みの音が聞こえてきて表現されてるのだが、それと通じるものがあるかもしれない。女子がこの映画を観たら、自分が経験してきた過去とダブらせて共感を覚えるかもしれないし「男子には分からないわよ!」と言うかもしれないが、逆に男子が観る方が「わ!これが少女か!」とその振り幅が大きい分、女子よりも受ける衝撃も大きいかもしれない。この映画を観ることによって、一瞬少女の感覚が分かったような気がするが、それも多分奇蹟的に一瞬だけ感じられたと思うし、映画が終れば直ぐに薄れて見えなくなってしまうだろう。たとえもう一度この映画を観てその感覚を感じようとしても初見で感じた感覚はもう二度と味わえないと思う。映画を観てると最初は、ヤン・シュワンクマイエルの『アリス』や『地下室の怪』や、サラ・ムーンの『ミシシッピー・ワン』的な、少女の可愛さと見えない何かによって色々操作されてるような不安な世界なのかな?と思いきや、物語が8〜9割進むに連れ、それだけではない謎(推理的な謎ではなく、少女たちの居る世界の意味が分かってくる)が除々に解けていき、監督(ギャスパー・ノエの奥さん)が言いたかった事が何かが完全に理解出来き、”わぁ!そっちか!”となる。その後、エンディングを迎えるのだが。最後のシーンだけ見ると楽しそうなシーンなんだけど、それまでの9割のフリが凄く効いてて、かなり衝撃的。夏・冬通して真っ白な衣裳と年齢を分けるリボンも、非常に効いている。最年長ビアンカの場面によって、大人っぽく見えたり子供に見えたりする演技だけではない変化が、まさに、少女と少女ではなくなる瞬間を目撃できる。あの少女はあの森から出ない方が良かったのか?と思ったり。物語全体としては、目に見えた大きな起伏はないものの静かに大きな衝撃を与えてくる新感覚だ。あからさまな説明がないのに、こんなに監督の意図を明確に映像で理解出来たのは初めてかもしれない。これは、2006年に観た映画で『変態村』に次ぐヒットだ。非常にアリだこれ。うん。アリだこれ。映画館を出た後、そこら中にいる女の人を見ると(失礼な話だが)、”この人らみんな森から出ちゃったんだなぁ〜。”という感覚になる。ホント失礼な話だ。とにかく、ヤラれた。スゴイ!

20061128.jpg